研究レポートReport

第9回 内観力『ケガより辛い試合観戦』

東海インカレ、一週間前になりジョグを始めた。
ひとつ、ひとつの動作を慎重に確認しながらウォーミングアップをする。
不安な気持ちで爆発しそうな心をひた隠しながらポーカーフェイスを貫いた。

ただ自分の足が回復してくれることだけを信じて、、、、

試合の前日、父も仙台から駆けつけてくれた。
父に現在の状況を話しながら練習内容を決めた。
心配しながら見守ってくれる父の前で足を気にしながら
瑞穂陸上競技場のサブトラックでウォーミングアップを始めた。

明日、足が引きちぎれてもいいから笠原との勝負に望もうと決意した。

試合当日、I先生に皮内針を何十本も足に埋めてもらい痛み具合を確認した。
いろんな角度で動かしてみたが痛みは明らかに減っていた。
少し不安が消えて勝負に臨む気持ちに火が点いた。

久しぶりにスパイクを履く。
逸る気持ちを抑えながら軽く走ってみる。

『少し痛みがあるが何とか走れそうだ、、、、』

スタートブロックに足を乗せて、得意のスタートダッシュも恐る恐る確認してみた。
足に負担をかけないように走ったのだが持ち前のピッチ走法は健在だった。
そのピッチの速さにウォーミングアップを見てくれていた父も驚いた。

『卓、すごいピッチ走法だな!あれだけ動けれるのなら大丈夫だ!自信持って行け!!』 


と励ましてくれた。

予選は1コース、追い風参考ながら後半軽く流して10秒68だった。
まずまずの走りに不安だった気持ちから挑戦者の気持ちに変わっていった。
父の前でライバル笠原君に勝ちたい、、、、
その想いが強くなっていった。


東海インカレ男子100M決勝。

勝負の時が来た。
7コース、松村 卓 8コース、笠原 隆弘 となりのコースだった。
意識しないようにしたがそれは無理な話であった。

『位置について』

『用意』

『号砲(ドーン)』

号砲一発、得意のスタートダッシュでリードした。
しかし、勝ちたい一心で気が焦りピッチが空回りしてスピードが上がらない。
無理な(無駄な)力を入れれば入れる程、ケガした部分に痛みが走りスピードが上がらない。

後半、笠原君に追いつかれてそのままゴール。

この瞬間、日本インカレ100M出場の夢は消えた。
ケガをしていない状態で完璧な状態で走りたかった。
仙台から応援に来てくれた父の前で勝ちたかった。

観客席で見ていてくれた父にお礼を言いにいった。
『早くケガを治して、日本インカレに合わせろ、また応援に行くからな!』
負けたことには触れず、次の目標に向かって頑張れと励ましてくれた。

ケガをした足で無事に走り終えれた感謝の気持ちをI先生にもお礼を言いに行った。
そして短距離のコーチにも結果報告に行き、日本インカレのリレーまでには絶対にケガを完治させると約束した。
複雑な気持ちを整理するまで時間がかかった。

2週間後に迫った日本インカレに向けて練習が始まった。
ジョギングでバトンパスの練習は出来るのだが
本格的なバトンパスの練習はメンバーには申し訳なかったのだが
まだ痛みが残る足では無理であった。

日本インカレの会場である国立競技場に向かうため
名古屋駅から新幹線で東京に向かった。
憧れの国立競技場で走るために頑張ってきた想いを胸に秘めながら
新幹線の窓から見える景色を眺めていた。

中京大学が持つ4×100MRの学生記録を更に更新して優勝する。
もうひとつの夢を叶えるために練習してきたのだがケガをして思うような練習は出来ていない。
しかし、幸いに足のケガはこの時完治していた。
そのことはメンバーにも短距離のコーチにも伝えに行った。

仙台から父も国立競技場に見に来てくれた。
走れるかどうか分からなかったがメンバーと一緒にウォーミングアップを始めた。
途中、短距離のコーチが来て予選のメンバー発表があった。

1走、鈴木 2走 笠原 3走 加藤 4走 青戸

私の名前はそこにはなかった。


ウォーミングアップを終えたメンバーに励ましの言葉をかけた後
父の居る観客席に向かった。
予選、走れない事を下を向きながら伝えた。

『そうか、、、、』

その言葉の後、会話がしばらくなかった。
息子の力走をみたい父の想いは黙っていても伝わってきた。
おそらく、私の走れない悔しさも父に伝わっていたのだと思う。

4×100MR予選が始まる。

実は100Mで青戸君も笠原君も調子悪く他校の選手負けていた。
走りとしてはキレがなく精彩を欠けていたのであった。
逆に調子が良かったのが日本大学であった。

予選は通過したものの記録的には良くなく日本大学がTOP記録であった。
走り終えた選手に声をかけに戻ると短距離のコーチもすでに居た。
思わぬ結果に笠原君や青戸君が短距離のコーチに言った。

『決勝は松村で行きましょう!K先生!』

私も走りたくて走りたくて思わず言った。

『K先生、走らせて下さい!!お願いします!!』と深々と頭を下げた。

しかし、K先生の答えは
『ダメだ!予選と同じメンバーで行く!!』
颯爽と背中を向けて、その場を立ち去って行った。

この言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。

記録会でケガをしてしまい
日本インカレの100M出場の夢を断念する変わりに
4×100MRの1走を走るために東海インカレで笠原君との勝負をあきらめて
日本インカレに合わせて調整させて欲しいという願いを申し立てに行った時に
K先生は東海インカレで笠原と勝負しないやつを日本インカレで走らす訳にはいかないとまで私に言い放った。

ケガを押し切って必死の思いで走りきった東海インカレの100M。

『男の意地を見せてみろ!』

と言われ泣きながら父に相談して走ることを決意した。
あの約束はなんだったのか?
気持ちの整理がつかないまま父の居る観客席に向かう。

父を目の前にしても何も喋ることが出来なかった。
私の表情を見て父も何も話さなかった。
長い長い沈黙の時間が続いた。

4×100MR決勝の時がきた。

中京大学の前レーンが日本大学だった。
見たくないレース。
しかし、父から出た言葉を聞いて顔をあげた。

『本当だったら、卓があそこで走っていたのにな~』

悔しかった、、、、
本当に悔しかった、、、、
涙が溢れ出てきて止まらなかった、、、、

こみ上げて来る想いを必死で殺しながらレースを見つめた。

結果は、、、、
日本大学の優勝
しかも学生日本新記録樹立。

目の前で起こっていることがまるで夢を見ているようだった。

走り終えたメンバーに『お疲れ様』と声をかけた。
それ以上、声をかけることが出来なかった。


そして、K先生の顔を鬼の形相でにらみつけた。


それから暫く、中京大学のトラックに私は姿を現さなかった。



ケガをする事の辛さ、、、、
そして、ケガをする事以上の辛さは選手として試合に出場出来ないことである。
この気持ちは経験したことのない人には決して分からないことである。
なぜ?ケガをしたのか? どうしたらケガをしなくてすむのか?
今の私が身体機能向上を研究する想いはこの経験が元になっている。
この後、追々分かってくる様々間違ったトレーニング内容やケアの仕方を知った時
私はカルチャーショックを受けて暫く立ち直れなくなるのである。
これからの研究レポートで随時、書き連ねていきたいと思う。


次回の研究レポートは『人の想いを馬鹿にするな!』です。

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