研究レポートReport

第22回 内観力 『今までやってきた事は一体何だったんだ?』

平成7年11月13日

鳥取県にある、ワールドウイングの門を叩いた。

スタッフの方に、1泊2日の合宿内容の説明を受けた後、
早速、着替えてジムへ移動した。

まず、骨盤周りと肩甲骨周りの柔軟性をチェックするという。

言われる通りに、ポーズをとろうとするが全然できないのである。
特に、骨盤周りは固くて情けないくらいに動かなかった。

記録用紙に記入されていく度に、まるで、重症の病人にでもなった気分であった。

次に、今まで行ってきたトレーニングが、いかに筋肉や関節に負担をかけてしまい
柔軟性や可動域が悪くなってしまうのかを体験することになった。

ある、マシーントレーニングをした後に、柔軟性のチェックをすると完全に身体が固くなってしまった。
それだけではない、身体を動かそうとすると痛くてたまらないのである。

今度は、小山先生が開発された初動負荷マシーンでトレーニングをした後に、
柔軟性や可動域のチェックをしてみたら、柔軟性はアップしているし、可動域も広がっている。

何よりも、身体が楽に動くのである。

ワールドウイングに来る前まで、穴があくほど本を読んでいたが、やはり、"百聞は一見にしかず"である。
今までのトレーニングでは、動作の終盤に力が入りすぎて筋肉や関節に負荷をかけすぎてしまうことが原因で
関節や筋肉の柔軟性や可動域が悪くなってしまう。初めての経験で『終動負荷トレーニング』という言葉の意味を知った。

小山先生が、開発された初動負荷マシーンは、動作の最初に負荷がかかるように工夫されていて
初動作で力を入れた後は、力がこもることもなく流れるように抜けていくのだ。
体幹部を意識して初動させて、生まれた力を手足などの末端部にスムーズに流す、画期的なマシーンであった。

しかし、今まで私がやってきたトレーニングは、紛れもなく終動負荷トレーニングであった。

それも、重さに拘り、最大筋力を求めたやり方である。
そして、"補強"といわれる腹筋、背筋、腕立ても誰よりも行ってきたが意味がないという。
極めつけが、"ストレッチ"も筋肉の特性を考えるとやらない方がいいと言われた。

"私は今まで、何をやってきたというのだ!"

本気で日本一になりたくて、真剣に行ってきたトレーニングやストレッチが間違っていたなんて、、、、
やってきたトレーニングメニューそのものがケガの原因になっていたなんて、、、、
私の身体が真実の答えを知った瞬間から、目の前が真っ白になっていった。

怒りにも似たこの感情を消す事が出来なかったが、これらの事は、ほんの序章にすぎなかったのである。


一連のトレーニング指導が終わろうとしていた時に、小山先生がジムに現れた。


"遠路遥々、よく来てくれましたね! 小山です。よろしく!"と笑顔で挨拶してくれた。

私も、『仙台から来ました、松村 卓です。よろしくお願い致します!』と挨拶をした。 



"卓(たかし)君だね、じゃ~今日から、タッ君って呼ぶね!"とニックネームをつけてくれた。


挨拶が終わった後、私は早速、小山先生に質問をしてみたいと思っていた。
聞きたいことは山ほどあったが、この短時間で更に聞きたいことが倍以上に膨れ上がっていたため
何からお聞きすればいいのか分からない状態になっていた。

深呼吸をした後、勇気を振り絞って小山先生に質問をした。

"不破さんに福島国体でお会いしたときに、スパイクのピンが〇〇の部分には付いていなかったのですがなぜですか?"

この質問に、小山先生は、、、、、

"F1レースで走っているタイヤって溝があったかな?
ないよね、あれはスピードを競うものだから摩擦抵抗を少なくしてブレーキがかからないようにするために溝がないんだ。
しかし、冬タイヤなんかは溝が深いよね!昔あったスパイクタイヤなんかは凍った道路に引っかかりをつけることにより
摩擦抵抗を増して、ブレーキがかかりやすくするためにあるんだよね!

じゃ、タッ君の100Mも速さを競う競技であればスパイクのピンは必要かな?

これから、トレーニングを経験していけば分かってくることなんだけど
軽く押さえる程度というか、雨の日のレースもあるから滑らない程度の引っかかりがあればいいんだ!
問題なのは、せっかくいい走りをしたとしてもスパイクのピンが接地の際に抵抗を強くしてしまって
その時に起こる、筋肉の逆収縮によってケガをしてしまうことなんだ!"

小山先生の答えを聞いた私は愕然としてしまった。

私が常時、スパイクに付けていたピンは長くて太かったのだ。
地面に対して、キック力を伝えて推進力をアップさせるためにスパイクのピンがあるものだと思っていた。
力強いキック力のために付けていたスパイクのピンが、ケガの原因になっていたとは思いもよらなかったのである。

その後も、いくつかの質問を小山先生に投げかけてみたが
かえってくる答えは想像もしていなかった答えの連続であった。

聞けば聞くほど、落ち込んでいく私であった。


この日の夕方の練習で、布勢陸上競技場のサブトラックで指導を受けた。

私の走りを観た、小山先生から言われたことが、

"タッ君、地面を強く叩きすぎているね、地球と喧嘩しちゃダメだよ!
 後、腕を振りすぎてバランスを崩してしまっているから腕をあまり振らない方がいいな!"

小山先生が言うには、私の走りはブレーキをかけながら走っているのと同じだという。 


私が速く走るためにしている動作が、実はブレーキをかけてしまっているためスピードが出なくなっているらしい。
特に、接地時に間違った動作をしているため筋肉に負担がかかり肉離れが起こるのだと指摘された。

どこに行っても、誰に聞いても分からなかった、私が怪我をする原因を
私の走りを観ただけで、弱点を見抜き、しかも対処法まで教えてくれたのは小山先生が初めてであった。

いくつかの修正点を指摘され、改善方法を指導して頂きながら動作改善を繰り返した。 


この時は、訳も分からない状態で、ただひたすら小山先生の言われたことを忠実に再現しようと努めた。
何本かに1本は、あれっと思うほどスムーズに加速していく走りができる時があった。 


接地時に、強く地面を押さないで走る方がスピードが出て、怪我の防止にも繋がることや
腕振りを強調しすぎると走りのバランスが崩れてしまいスピードを低下させる原因になってしまうこと
そして、骨盤だけを動かすのではなく、肩甲骨と骨盤の連動によって体幹部初動の動作を作り、
末端部である手足に動力を伝える動作を求めていった方が良いことを学んだ。

今まで走ってきた走法を、今日一日で180度変えることなど出来る訳がない。

しかし、染み付いたクセがある中でも、私の身体が時折見せてくれる素晴らしい動作に 

言葉の例えようがない嬉しさがそこにはあった。

身体の動かし方を変えるだけで、こんなにも違う動作になるのか?

この動かし方で完璧に走れたら、どんなタイムで走れるのだろうか?

私の身体は、動かないのでは決してなかった、いや、動けない身体にしてしまっていたのだ!

いつしか、"もう一度、走りたい"という気持ちが強くなっていた私であった。


練習終了後、小山先生はニコッと笑いながら言った。

"タッ君、まだまだ速く走れるよ!"



12年間、陸上競技をやってきた。

もう引退をしようかとも思っていた。
本気で日本一を目指して、誰よりも真剣にトレーニングに打ち込んできた。
度重なる怪我に泣いて、その度に最適なケア方法やトレーニング方法を模索しては実行してきたが
納得できる結果は得られない日々が続いていた。
しかし、小山先生にお会いして話を聞いて実践していく度に、私の身体の反応は以前のものとは全く違う反応をしていた。
まるで、身体にかけていた封印を解いてくれたかのように、身体が喜んで楽に動いているのが分かった。
ストレッチも補強も、そしてウエイトトレーニングも日本一になるために一生懸命やってきたことが
私の走りを滅茶苦茶にし、挙句の果てには怪我をするのが当たり前の身体になってしまった。
その瞬間に、今まで指導を受けた方々の顔が走馬灯のように浮かんできた。

この責任は、一体誰が取ってくれるのであろうか?

青春をかけて、真剣に取り組んできたトレーニングが間違っていたなんて、、、

そんな馬鹿げた話がどこにあるというのだ!



この日の夜は、眠ることが出来なかった。


合宿2日目 11月14日。


いろんな想いが頭の中をよぎっていたが、今は、出来るだけ小山先生のトレーニング法を吸収しようと決めた。
午前中は、初動負荷マシーンを中心としたトレーニングを行いバランスアップに努めた。 

不思議なのが、初動負荷マシーンは行えば行うほど身体の柔軟性がアップしていくし、 

身体が軽くなり、動作が楽に出来るようになるのだ。

昼食、休憩後、午後のトレーニングを開始した。

こちらに来て、かなり身体がほぐれてきたせいか今までに感じなかった身体の軽さを感じていた。
午後からも、基本トレーニングである初動負荷トレーニングをマシーンや補助道具を利用して行った。
夕方の電車の時間まで、少しあったので近くの交通公園で小山先生に走りを観ていただくことになった。

身体のバランスが良くなってきたのか、昨日の走りよりもいい感じで走れるようになっていた。

なぜ、良くなったのかを説明せよと言われたら、この時の私のレベルでは何ひとつ答えられない状態だが
言葉には出来ないのだが、明らかに身体感覚で感じ取っているものは、その違いを分かっていた。
(この疑問点は、後日、膨らんでいく一方であったが、、、、)

私の走り方に変化が現れてきたのを観た小山先生が、

"タッ君、延長、延長しよう!"と仰った。

『延長?』という意味がわからない私に、

"指導日の延長をしなさいと言うことですよ!"

と、他の合宿参加者の方から教えて頂いた。

せっかく、変化し始めてきた走り方や身体バランスを定着させたいという小山先生の想いであったが
この後、名古屋に移動して結婚式の打ち合わせなどがある関係で無理であった。
そして、偶然にも、今日は小山先生のお誕生日であったから夜にパティーがあって楽しいんだよと常連の方が教えてくてた。
後ろ髪を引かれる想いであったが、最後の1分、1秒まで指導を受けて名古屋に移動する事を決めた。

中腰の姿勢からダッシュをするトレーニングを何度も繰り返していた。

今まで、足の力で地面を押して前に前に進もうとしていたのだが
小山先生に、体幹部の重さと可動域を利用したダッシュの方法を教わった。
どうしても、今までのクセが出てしまい、なかなか素直に動作が出来ないことの方が多かったのだが
時折、自然に出来るときは、驚くほど前に進んだし、疲労度が全然違う事にまた驚いた。 

いい走り方が出来たときは、息の上がりがなく、柔軟性もアップしている。
一番、すごいと思ったのは、まったく力を使っていないのにも関わらず走れていることであった。
しかも、すごいスピードで走れているのに疲労感も努力感もないのだから
今までの走り方では、怪我をしたり、スピードが出ないことが体感を通じて理解できるようになった。

電車の発車時間、5分前に時計に気付いて慌てて小山先生に御礼を述べた。

"また、必ず来てね、待っているよ!タッ君!!"

小山先生と握手をして、スタッフの方に鳥取駅まで車で送っていただいた。
ダッシュで階段を駆け上がり、電車に乗ることが出来た。
しかし、呼吸が落ち着いてきた頃から、ワールドウイングでの出来事を思い返していると
自然に、涙が流れ落ちてきた。
となりの方に見られないように外の景色を見ながら泣いていた。
その涙は、次第に過去の私が取り組んできたことを想いだしてしまい悔し涙に変わっていった。
どうにも治まりがつかないのでバックからバスタオルを出して、頭からかぶり目頭を押さえながら涙が出なくなるまで待った。
生まれて、こんなにも泣いたことがあっただろうかというほど泣いてしまった。
"後悔"の気持ちがあまりにも強かったのが尾を引いた。

もっと、早く、小山先生にお会いしていれば、、、、、

この気持ちを消す事が、しばらくの間できなかった。

複雑な想いを胸に持ちながら、名古屋に向かった私であった、、、、、




次回の内観力は、『もう一度走りたい、、、、』です。7月20日の予定です。

<< 目次に戻る

このページのトップへ