研究レポートReport

第31回 内観力 『軸のない動作に意味があるのか?』

実は、ここに書いていなかったのだが、父が亡くなった後、
目標を失っていた私は無謀にも平成13年に宮城県で行われる宮城国体に出場しようと決意していた。
練習もろくにしていないのにこんな考えに至ったのは、何か生きる希望が欲しかっただけかもしれない。

空き時間を見つけては、家の近くにあったジムに通うようになった。

トレーニングは、ジムにあるマシーンを初動負荷的に動かしながらほぐしを行っていた。

ある程度、身体が慣れてきてからは重量もアップさせてスクワットなどもメニューに入れていった。
身体の方は、何となくいい反応を見せかけていたが気持ちは暗いままであった。

そんな中、フッ~とワールドウイングに行きたくなった。
善は急げとばかりに早速、ワールドウイングに電話を入れて予約をした。
小山先生とはお話は出来なかったが何かを変えるきっかけにしたかった。

ワールドウイングに行きたい理由が実は他にもあった。

白石高校や白石女子高の指導を依頼されて、陸上部の生徒さんを教えていく中で疑問点がいくつか出てきていた。
確かに、初動負荷トレーニングを行うと、身体の柔軟性はアップし、筋肉や関節は動かしやすくなるのだが
動作作りを行う場合に、どこをどう意識して動かす事が一番良いのかが分からないでいた。

骨盤や肩甲骨周りが動かしやすくなっても、それだけでいい走りを構築できる訳ではない。

例えば、意識をするのを筋肉にすればよいのか、それとも骨を意識すればいいのか
いやいや全く違う部分を意識させればいいのかを詳しく知りたかったのだ。
振り返ってみるとワールドウイングで、その様な内容での指導は受けていなかった。

資金的に余裕が無かったので仙台から鳥取まで車で移動した。
距離的にはかなりあったが、一人でいろんな事を考えながら移動しようと決めた。
好きなCDをたくさん車に積んで出発した。

1泊2日の合宿。

走るトレーニングは正直、出来ていないことを告げて練習が始まった。
懐かしい初動負荷マシーンで身体をほぐした後、布勢陸上競技場に移動した。
小山先生が来られるまで、それぞれで走る練習をしていた。

仙台から車で、1000km以上の距離を一人で運転してきたので足はかなり張っていた。
仕事の空き時間を見つけてトレーニングはしたものの、走るトレーニングは出来ていなかったので
少々走るだけで足が痛くなっていた。

いつもよりもかなり遅れて小山先生が来られた。

が、私が知っている笑顔の素敵な小山先生ではなく、どこかやつれた顔をされていた。

後で聞いて知ったのだが体調がおもわしくなく大変な状態だった。

久しぶりにお会いするのだが何か見えない壁のようなものを感じた。

そして、走るトレーニングが始まったのだが1本走ったのを見て戴いただけで
別の指導場所へ移動されてしまった。

これには正直、あっけにとられてしまった。

他にも指導を受けていた選手もいらしゃったが同じく1本見て
それぞれワンポイントのアドバイスを受けていただけであった。

聞きたいことは山ほどあったのに何も聞けないでいた。

そして、翌日を迎えた。
車で移動してきたのでこの日のギリギリまで練習をして帰る予定でいた。
走るトレーニングは積んでいなかったが1本でも多く走ろうと決めた。

午前中は、初動負荷マシーンのトレーニングがメインになり
午後から、布勢陸上競技場で走る練習を行う。

この日、小山先生から言われたポイントは
伊東浩司選手が行っていたという自然な振り出しを利用して体幹の移動距離を伸ばす走法。
空中動作で体幹部が前方移動を行い、その移動を最長に無理なく伸ばすために遊び(余裕)の部分で
膝下を無理なく伸ばして重心を拾うというものだ。

練習不足の私が、こんなハイレベルの走法が出来る訳がなかったが
この当時の私のレベルでは、このトレーニングがいかにハイレベルなものか
そして、準備が出来ていない人がこの走法を行えば、足にどれだけの負担がかかるのかも知る余地がなかった。

案の定、私は左足の膝裏を痛めてしまったのである。
しかし、ケガをした後でも無理をして走り続けた。

走り終わった後、小山先生に

"走る際に意識する部分はどこですか?"

"この振り出し、振り戻し動作はどこの筋肉や関節をどのように意識して動かすのですか?"

とおもいきって聞いてみた。

それを聞いた小山先生の顔が一瞬曇った。

が、すぐさま "こんな感じで動かすだけだ"としか言わなかった。

また、この日も2~3本の走りを見ただけで別な指導場所へ移動されて行った。


痛めた左膝裏の痛みはかなりであった。
幸い、車のアクセル&ブレーキは右足だったので運転には支障がなかった。
それよりも期待してことが全く達成出来なかったことの方が悔しかった。

運転しながら、一瞬曇った顔をした小山先生の顔が何度も出てきた。

結局、肝心なノウハウは何も教えてはくれなかった。
そして、以前のように何本も何本も走りを見てくれない様に変わっていた。
お忙しいのは分かるが、余りの変わりように悲しくなった。


アスリートとしてのワールドウイングへの訪問の最後になった。


たこの様に身体を柔らかく出来たとしても動かし方が分からなければ
求めていきたい再現性の高さは生まれてはこない。

身体を動かすコツが分からなければ、感覚的に動かさざるえない。
しかし、経験上、感覚で覚えるというのは至難の技である。

指導者として、ノウハウの部分は商売上出せないのだろうか?

別な話だが、伊東浩司選手も晩年、小山先生の指導から離れてしまった。
その後、彼の走り方は変わってしまったし、ケガをするようになった。
最後のオリンピックでは、いい成績を出す事が出来なかったのである。

伊東浩司選手は、身体操作を意図的に出来ていた選手であれば
もっといい走りが出来ていたに違いない。

では、なぜ、崩れてしまったのであろうか?

動かせられていた身体と、動かしきれる身体の違いではなかろうか?
身体の屋台骨である"骨"を動かす意識が確立されていなかったのではないだろうか?

"コツを掴む"と言う言葉があるが、コツ=骨(コツ)の事である。

現在、私の研究は骨のことばかりだ。
しかし、世の中の主流は筋トレや体幹トレばかりで筋肉ばかりに目を向けて
肝心要の"骨"のことを忘れてしまっている。

骨の意識が出来るということは、身体本来の中心にある軸を意図的に動かせることになる。

骨を主に動かして、筋肉を自然に使いこなせるようになれば
身体全体の調和された動作が生まれてくるので素晴らしい動作が出来るようになってくる。

また、身体の意識を変えてやることにより
全く別物に生まれ変われる力を我々の身体は持っているのだ。



次回の内観力は、『野口体操に出会う』です。10月20日の予定です。

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