みなさん、こんばんは!
今日の仙台は、快晴のいいお天気でした。
なんか、久しぶりに青い空を見たような気がしました。
余震の方も、日に日に少なくってきました。
でも、まだ寝る時はジャージやヤッケを着こみ
頭の上には、懐中電灯と貴重品が入ったバッグを置いています。
人間って不思議で、慣れてしまうと苦にならなくなります。(笑)
下水道がまだ完全復旧ではないために
小便は溜めておいて、大便の時に水を流すようにしています。
それでも簡易トイレでしたり、タンクに水を入れていた時に比べたら全然OKです。
停電していた時は、
明るいうちに出来ることはサッサとしてしまい午後8時頃には寝ていたのに
電気が復旧してからは夜中まで起きている馬鹿な私がいる。(トホッホッ、、、、)
喉もと過ぎれば熱さ忘れる、、、、 にならない様に気をつけたい。
今日、東京に居る心友の藤林さんと水道水の事でお話をしていた。
それから、未来に向けての取り組みなどを語り合っていました。
その内容を是非、ブログに書いて欲しいと頼まれました。
ここからは、私の独り言として聞いて下さいませ。
今回の大震災を経験して思ったことは、
これから学校は、ただの避難所では通用しないということだ。
ただ避難する場所ではなく、避難生活が出来るように改良していくことが望ましい。
まず、学校並びに体育館の屋根に太陽光発電の設置を義務付け。
飲料水用の巨大なタンクと自家発電できる機械も設置もする。
そして、避難所生活に必要な備品&食料を確保できる倉庫も作るべきである。
それから、各家庭の屋根並びにマンションやアパートの屋上にも
太陽光発電を設置して、各家庭の電気は各自で賄えるようにして
普段の生活で出来た電気は各電力会社に売ってあげればいい。
ある方の情報によると、なんとか岬で風力発電を作れば
日本の電気が十分に賄えるくらいの電力が作れるという。
各家庭、学校、企業、すべて建物の屋根や屋上に太陽光発電を作り、
風の力をお借りして風力発電を作り、今も活躍してくれている水力発電の力も借りて
クリーンエネルギーの力で日本中の電気を賄うようにする。
私が今更、原発の問題を偉そうに語る気は毛頭ない。
では、なんで熱くなってしまうのかというと、
『誰かの犠牲の上で成り立っていることなど理不尽極まりないからである!』
東電のために、何の関係もない消防署や自衛隊の方々が
なんで決死の覚悟で、あんな危険な現場に行かなければならないのか!!!!
TVでのうのうとアホ面見せて喋っている上役さんと
現場で、死を覚悟して任務にあたっている人との差は一体なんなのか?
自然にも人間にも傍迷惑な原子力発電。
身の危険を承知で、自然破壊を承知で一部の人間だけがいい思いをして
辛くて、苦しくて、誰もやりたくない仕事は下っ端の人間に無理強いさせている。
こんな仕事や内容が、果たして立派な企業と云えるのか!!!!!
お金を汚く悪くいう奴がいるが、これは完全に間違っている。
ハッキリと言いたい、お金が悪いのではなくて、
お金の扱い方が汚い人間がいるだけなのだ。
人の頬っぺたをお金で叩くのは最低の人間がやることだぞ、おい!!!!
今回のことで、いろんな事実を知ることができた。
学者をお金で操ろうとしたり、マスコミをお金で操ろうとしたり
てめえの懐ばかり考えやがってふざけんのもいい加減にしろってんだい!!!!
前にブログで書いたけど、
このまま野放しにしておいたら、子供達が住む未来はどうなると思ってるんだ~
おめらにも子供や孫達がいるだろう、もうそろそろ真剣に考えたらどうなんだい。
斉藤一人さんが最初の方に出された本の中で、
『競争ではなく、共に創る方の、”共創”がいいよ!』と仰っていた。
足りない、足りないではなく、ある物で足りるように生活していく。
共に知恵を出し合って生活していけばいいと思う。
それから、これは家内と話していたのだが
もし、巨大地震で東京が壊滅してしまったら大変なことになってしまう。
テレビにしても、政治にしても機能しなくなったら大変な事になる。
出来れば、各都道府県で東京レベルの機能があることが望ましい。
自立した各都道府県であれば
どんな状況になっても助け合えるし、協力し合えると思う。
それに、正しい情報を逸早く伝えることの大切さは今回の経験で痛切に感じた。
国家プロジェクトで、これ位のことをやらなければいけないと思う。
元々、日本の借金は身内で貸し借りしたようなもの。
外国から借りたお金ではないから諸外国のような深刻さはない。
特別国債でも何でもいいからお金を作り、
日本国民が安心して暮らせる環境作りを最優先として
一気呵成に作り上げていけばいいと思う。
そして、特別国債で今までの借金を返済してゼロにしてしまい
日本国中がいい状態になった段階で特別国債を特別にゼロに戻す。(苦笑)
国民にとって必要なことに、お金を使うような政治にしていき
”足りる生活”、それは満ち足りた心で生活が出来る環境作りにすること。
政治家本来の趣旨も、”国民のため”の原点に還るべきである。
これまでの様に、自然を支配するという思考ではなく
自然と共生してく生き方に変化していくことだ。
人は、何のために生まれてきたのか?
人は、何をするために生まれてきたのか?
今、いろんな人がこのテーマを真剣に考え始めている。
亡くなった親父が昔、よく言っていたことを思い出す。
神社に鏡があるのは
か・が・みの『が』をとって神になれという教えらしい。
この『我』をなくす修行を私達はしているという。
私自身もまだまだ『我』を取れきれてはいない。
でも、少しずつだが『我』をなくす様に心掛けている。
俺が、俺がを捨てて、お陰様で、お陰様でと暮らしたい。
若輩者の戯言をどうかお許しくださいませ。
大変失礼いたしました。
感謝
