みなさん、こんにちは!
今日は出張で滋賀県に来ています。
こちらは初夏の様な暑さです。
途中、京都で八坂神社に参拝してきました。
修学旅行の学生さんが楽しそうにおみくじを引いてました。
八坂神社に参拝した後
必ず立ち寄るのがにしんそばの松葉です。
亡くなった父はにしんそばが大好物でした。
京都ならではの素朴な味をおいしくいただき
幸せな一時を過ごせました。
昨日、紹介しました茂木健一郎さんの本の中で
もうひとつ、日本にはない捉え方がありました。
変人であることの自由が、『強化学習』の回路を暴走させる
トリニティカレッジの雰囲気から伝わってくる思想は、
『変人であることの自由』です。
そもそも、ケンブリッジでは格好がよくてはだめなのです。
ぱりっとしたスーツを着て歩いている人は
『あいつはどうせ普通の人だろう』とバカにされる。
逆に、穴が開いたセーターを着ている人が
ぼろぼろの自転車に乗って、カレッジの中を
キーコキーコと走っていたりすると
みんなが、『ああ、あの人はきっと偉い学者に違いない』と
敬仰(けいぎょう)のまなざしを送る。
そこに集まってくる人たち普通の人が少ないー
というより、変人しかいません。
では、いったい、変人とはどういう人のことを
指すのでしょう。
実は、これも天才と同じことが言えます。
変人は変人として生まれてくるのではありません。
何かの行動に対してドーパーミンが大量に放出され
それによって強化学習が成立する。
このサイクルが暴走してしまい、人とは違う方向に
どんどんとんがってしまう。
これが変人の変人たる理由なのです。
そしてトリニティカレッジの『変人であることの自由』
という思想は、いうなれば
『自分の好きなことをとことん追求することが許される自由』
と言い換えることができます。
自分の好きなことをとことん追求することを許された時
人はどういうふうに発展していくのか。
現代史はさわやかな実例が満ちています。
たとえば、i Podで有名なアップルコンピューターの
創始者スティーブ・ジョブスも、マイクロソフトの
創始者ビル・ゲイツも、いわゆる゛変人゛であることが
よく知られています。
私も骨整体を考案するときは
常識的なことで判断するのではなく
必ず、自分の身体に答えを求めます。
身体は答えを知っています。
新しいことを作るとき、周りからは ゛変゛ に
見えるかも知れません。
しかし、自由な発想がなければ生まれてこない事も
たくさんあるのです。
茂木さんの本にも書いてありますが
しかし日本にはお世辞にも゛変人゛を
許容する文化があるとはいいがたい。
逆に『ほかの人と一緒でなくてはいけない』という
(無言の)圧力があります。
大学時代に『研究したいことがある』なんて
本当に素晴らしいことだと思います。
どんどん頑張って解明して欲しいです。
私も40歳からのスタートですが
しっかり骨整体を突き詰めてみたいと思っています。
大好きな勉強なら苦にはならぬ。
感謝
