【怒りという燃料】
怒りは燃料である。
怒りを感じると、私たちは何かをしたくなる。
… 誰かをぶったり、物を壊したり、かんしゃくを起したり、
壁を拳でなぐったり、他人に悪口を浴びせたりしたくなる。
しかし、たいがいの人はごく善良なので、怒りに直面すると、
蓋をしようとする。
さもなければ、頭から否定し、無視し、覆い隠そうとする。
怒っていないふりをしたり、薬で怒りの感情を鎮めたりすることもある。
つまり、私たちは自分の怒りに耳を傾ける以外のことなら、
なんでもするのだ。
怒りは耳を傾けてもらいたがっている。
怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。
というのも、それは心の地図だからである。
怒りは私たちの限界がどこにあり、
私たちがどこに向かいたがっているかを教えてくれる。
また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。
創造性を回復しはじめている人にとって、怒りは健全な兆候なのだ。
怒りは表現されることではなく、行動を求めている。
私たちは、怒りを燃料として活用し、
怒りが示す方向に向かって行動を起さなければならない。
怒りのメッセージを読み取るのはそれほど難しいことではない。
~中略~
私たちは怒りを感じるとき、
しばしば、怒っていること自体に憤りを覚える。
これは私たちが生まれ変わろうとしており、
誕生の苦しみを味わっているという証拠でもある。
その痛みが私たちを怒らせるのだ。
怒りは古い人生の終わりを告げる旋風であり、
新しい人生へと駆り立てる燃料だ。
怒りは支配者ではなく、適切に活用すれば役に立つ道具となる。
怒りは触れられることを求めており、
近づいてもらいたがっているのだ。
怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。
怒りは友達である。
素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、
きわめて誠実な友達だ。
それは、私たちが裏切られたときや自分自身を裏切ったとき、
かならず知らせてくれる。
そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。
怒り自体は行動ではない。
行動への招待である。
『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』ジュリア・キャメロン
サンマーク出版
最近、ある事で久しぶりに怒りが込み上げてきた。
今回は、かなり酷くて我を忘れるくらいに思考の中で暴れ回った。
もう限界だと思った瞬間、ハッ~と気付いた。
自分の中で待っていてくれた『本音』と出逢う事が出来た。
導かれるように、この本を読むことになったのだが
笑っちゃうくらいに『答』が書いてあった。
自分に必要であったからこそ起きたこと。
10年振りくらいに来たどでかい壁でしたが
気持ちいいくらいに、思いっきりぶっ壊してやりました。(大笑)
いい意味での本当の『ゼロ』の状態。
忘れちゃいけないこの気持ち。
さて、今度は本気で富士山のてっぺんに登ります。 感謝